ラーメン屋 勤務時代

JTを辞めてから、半年ぐらい無職になる。

 

その後、母の勧めで近所に新しく出来た『ラーメン屋』で働く。

 

若いこともあってか、チヤホヤされた。

ミスも沢山した。接客が嫌になった。

人も嫌いになった。

 

でも。。

そのラーメン屋が違う種類のラーメン屋をオープンすることになり

私はオープニングスタッフとして異動になった。

19歳だった。入ってくるスタッフはみーーんな年上。

でもとても仲良かった。楽しかったし、接客もできるようになってきた。

 

その時ぐらいにお店のアンケートの対応が良かったスタッフ

という欄に私の名前が書かれることが増える。

中には遠くから私に会いに来ました!という人までいた。

 

それに私の店長は嫉妬していた。笑

 

私の店長はすごい変態だった。

厨房にいる私の横を通る時や、後ろを通る時

【おっぱいとお尻】どっちなら触っていい?とか聞いてくるし

店内がら空きなのに、外に待たせてるお客様がいるのに

店内にまだ入れないで!!麺上がらないからと言われたことがあった。

 

季節は夏。

外は地獄。

店内は天国。

 

そんな状態なのに、店内に入れないなんて

私がお客様の立場なら意味がわからない。

 

店長の指示を無視して店内にご案内をしたら

店長は、舌打ちをして睨みつけてきた。

 

そして麺を運ぶ際に【なんで入れるんや?】という。

 

私は店内がら空きなのに、なぜ入れないんですか?と反抗する。

 

コイツ頭悪いなみたいなこと言われてキレる。

 

しかし、そのお客様はアンケートを書いて下さり

【店内がら空きなのに案内されなかった。

ラーメンは美味しかったのに、意味がわからない。

もう二度と来ない】と書いてあった。

 

ほらー!!!!!!!ってなったけど

店長はめんどくさい人なので

【こんな内容書いてありました。午後からも頑張りましょっ!】って

店長に言うと。

【〇〇ちゃんえらいねー!】って言ってきた。

 

はい???

どーゆーこっちゃ!!!!!!

 

ここからまた色々あった。

 

セクハラや、高圧的。かと思えばたまに優しかったりもしたけど、、

精神的に疲れてきてしまい。

 

終いには 行くのも嫌になり

退職しました。

 

しかも、ブッチという形で。。

1年7ヶ月ぐらい働いたけど

家からも近かったので

また引きこもりが始まる。

卒業後 【専売公社JT派遣】

みんなが新しい道に進む中

私は就職活動をしてなかった。

厳密に言うと職場見学へは行ったけど

働く気は起きなかった。

 

卒業したその年の9月。

友達の紹介で派遣会社経由で

JT】で働く。

 

工場内の作業は1日中一緒。

『バーコードを永遠に読み取る作業』

『流れてくるダンボール箱が途中で止まらないように押す作業』

『タバコの葉っぱを解す作業』など色々。

休憩中はほとんどの人がタバコを吸う。

その中にタバコを吸わない私。

 

忘れちゃいけないのは

私はタバコの匂いが嫌いだということ。笑

 

1日目の仕事で声が出なくなるほど枯れてしまった。

 

この仕事は3ヶ月続けたが

タバコのせいで体調崩したので登録解除しました。

 

\そらそうやー!!!/

 

そして。。

 

流れ作業は私には合わなかった。

不登校の代償

3週間休んだ代償は大きかった。

 

もしかしたら3週間じゃなかったかもしれない。

もっと休んだのかな?

 

《単位が足りないので、卒業式には出ることはできません》

 

急に担任に言われて

【なんでよ!?意味わからない】とブチギレる。

自己中でやばい私。

 

いや、、あんたが登校しなかったからでしょ?

 

その通り。

 

結局、卒業式練習とかある時間は

図書室にいなさい。と言われた。

 

残り少なくなった高校生活。

 

私は遅れを取り戻すために勉強していた。

 

その頃みんなは『就職活動中』

 

ギャップが凄かった。

 

卒業式当時は図書室に待機して、終わったら教室に行って

みんなと最後の写真撮影。

 

それから15日間、私は1人で補習授業。

 

1体1で先生との時間は意外と楽しかった。

 

やっと終わって3月17日。

私1人のだけの『卒業式』

 

A子ちゃんがきてくれた。

制服を着て、私の後ろに座ってくれて

【卒業おめでとう】って言ってくれた。

この話は今でも鮮明に覚えている。

今でも目頭が熱くなります。

 

卒業式終わって

B子ちゃんC子ちゃんが合流して

『卒業式打ち上げ』が行われる。笑

 

もんじゃ食べたり、カラオケ行ったり

楽しかった。

 

代償はあったものの

違う何かを得た気分だった。

 

本当にありがとう。

 

立ち向かう恐怖

部屋に来た両親。

 

母の手には手紙。

 

手紙の差し出し主は、ずっと一緒にいたA子ちゃん。

そして切手がない。

わざわざ家まで来て届けてくれた。

 

母【こんなに想ってくれる友達がいるのに行かないの?】

父【おまえはいじめられてるのか?】

私【虐められていない】

 

父【なら何で行かないんだ?】

私【皆の目線が怖い】

父【お前はそんなに注目を浴びてるのか?アイドルか?】

私【違う】

父【高校あと少しで卒業できる。頑張れ。退学すると後悔すると思う】

 

こんな会話をして私は大声を上げてわんわん泣きました。

 

なんで行きたくなくなったんだろ?

 

そうか、色んな人の相談事を聞いたり

愚痴聞いたり、女の僻みや妬み、嫉み。

そんな物に疲れてしまったんたと思った。

 

 

よし、

行くしかないか。

 

 

ずっと無視してた友達に【学校行くよ】と告げる。

 

そして投稿日。

吐き気しながら父の運転する車に乗り

学校着いてもなかなか降りられない私の背中を

1発バシッと叩き!【行ってこい!お前なら行ける!】と言われ

震えながら歩いた。

 

学校は父の出社時間に合わせて行くため

登校時間はとても早い。

 

教室には2名クラスメイトがいて

心配して駆け寄ってきてくれた。

 

続々登校してくるクラスメイト

【大丈夫だった?】【痩せたね】とか色々言われた。

 

メールをずっとくれてたメンバーも登校して

【待ってたよ】って言ってくれる。

ずっと無視してたのに。。ごめんなさい。、という気持ちが溢れる。

 

A子ちゃんが来た。

抱きついてきて【バカ!】と言われて泣いてしまう。

 

こんなに友達がいたのか、、と思った。

 

ありがたいと思った。

 

心から感謝をした。

 

また頑張ろうと決めた。

 

 

人生初の病み期

【高校を辞めたい】

 

両親にそう告げ部屋にひきこもった。

 

両親はいきなり話をされて、ポカーンという感じだった。

 

3週間ぐらい学校をなんらかの理由で休んだ。

朝起きると直ぐにトイレに駆け込んだ。

【行きたくない!】という気持ちが強くて

吐き気が止まらない。

 

でも母は心に問題があるとかではなく

【心の弱さ】【忍耐力のなさ】だと思っていた。

半分はそうかもしれない。

でも心はおかしくなっていく。

この頃からよく【胃腸炎】にかかる。

 

3週間休んでる間

友達からはメールが届く(この頃はまだLINEがない)

私と常に一緒にいた友達A子ちゃんは、急に1人になり病んでしまった。

 

でもなぜだか、【いや、知らんがな】っていう想いで

心は荒んでいった。

 

友達の1人B子ちゃんは『今日の日記』として私に長文のメールをくれた。

C子ちゃんは『私がいないと楽しくない』とメールをくれる。

D子ちゃんは『大丈夫か?』とメールをくれる。

 

でも私は心を閉ざしまくった。

うるさいなぁ。と思っていたし

着信音も消していた。

 

そのまま夏休みに入る。

 

私はこの年の1月1日から毎日風景写真を撮り始めていて

引きこもってる時は部屋から写真を撮っていた。

【夕日専門】で。

 

写真を撮っている時は、何もかも忘れることができていた。

 

もうすぐ夏休みが終わる、そんな時に両親が部屋に来る。

はじめまして&学生時代の話

yupeと申します。

 

このブログは私の過去、、

そしてその過去からRESTARTして

新しい人生を歩む記録です( ¨̮ )

 

私は平成2年生まれ 今年で31歳の女です。

 

中学では卓球部に所属。

理由は姉が卓球部に所属していて私もしたかったから。

 

高校は卒業時に【調理師免許】が取得できる高校を選んだ。

本当は中学生の時の夢は別にあった。

【保育士】になる夢。

やめた理由は姉が【保育士を目指していた】から

あと好きな人のライバルの女子が【保育士を目指していた】から。笑

 

そんな安易な考えで、あきらめてしまう。

 

じゃあ、なんで調理師なのか?というと

母が料理が得意で【母みたいに料理上手になりたい!】と思ったから。

↑このセリフは高校面接の時にここの高校を選んだ理由として言ったので

今でもはっきり覚えています( ¨̮ )

 

高校は女子高。

イジメとかもあったし、ドロドロしてました。いろーんな意味で。

高1、高2までは雨の日でさえカッパを着て

片道50分の高校に通ってました。

高2では途中から友達と合流して、毎日楽しく通学してた。

学校は楽しくなくて、ダンスを考えてみんなの前で発表するという授業が

1番苦痛だった。

 

調理の時間は楽しかった。

 

高3になって最後の体育祭

友達に誘われて【応援団】に入る。

演舞を必死に覚えてる時は【青春】を感じました。

 

でもそれと同時にいやなこともあって、、

この時に私は【高校辞める】という気持ちが膨らんでいく。

 

演舞は3チームに分かれて競う。

そして見事\優勝/した。

 

私は達成感でいっぱいだった。

 

さあ!学校辞めよう。

 

それはいきなりやって来た…